【巡礼記】関東三十六不動尊 第十五番 中野不動尊
都営地下鉄大江戸線・東京メトロ丸ノ内線の「中野坂上」駅から青梅街道沿いに西に進むこと3分、宝仙寺前交差点を右折すれば目的地の宝仙寺こと中野不動尊に辿り着く。戦後に再建された山門の仁王門が出迎える。
宝仙寺は寛治年間(1087〜94年)に源義家によって創建されたと伝わる古刹。後三年の役平定後、奥州から京へ戻る道中で、良弁作と伝わる不動明王像を安置する寺を建造したことに始まるという。元は阿佐ヶ谷にあったが、室町時代に現在地に移転した。
明治30年(1897年)に「中野村」が町制施行により「中野町」が成立した。その際に中野町役場が宝仙寺の境内に設けられた。昭和7年(1932年)に野方町と中野町を合わせて東京市中野区が成立すると、引き続き中野区役所として利用され、昭和11年(1936年)に移転するまで宝仙寺境内にあった。
境内には石臼塚がある。中野一帯は神田川の水流を利用した製粉業が江戸時代より盛んであったが、工業の発達すると使われなくなった石臼が路傍に放置されるようなことも多くなったという。それを憂いた宝仙寺住職が、石臼を供養する目的でこの塚を作ったのだという。
三重塔は平成4年(1992年)に再建されたもの。初代は寛永11年(1636年)に地元の一般人である飯塚惣兵衛夫妻の出資によって建立されるという珍しい経緯を持つ。江戸近郊唯一の三重塔であったが、昭和20年(1945年)の空襲により消失した。
墓地への入り口に六地蔵。そしてその後ろに「見送り地蔵」呼ばれる地蔵がある。明和9年(1772年)に建立されたもので、当時の住職が自身と弟子の墓標を兼ねて造立している。高野山延命寺にある引導地蔵尊を模刻したといい、背面には引導地蔵尊の縁起が刻まれている。
本堂を含む境内の建物は戦災でほとんど消失してしまった。そのため各建物を徐々に再建していくこととなり、本堂は昭和28年(1953年)頃再建された。内部には鎌倉期の不動明王を中心に五大明王像が安置されている。
霊場
明王山 聖無動院 宝仙寺 中野不動尊
所在地:東京都中野区中央2-33-3
三十六童子:師子慧童子(ししえどうじ)
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