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2022/02/13

【巡礼記】関東三十六不動尊 第十二番 志村不動尊



都営地下鉄三田線の本蓮沼駅から国道17号を北上すると、右手に小綺麗な参道を持つ寺院が現れる。ここが今回の目的地である志村不動尊こと南蔵院である。

中世の頃、荒れ地であった蓮沼村を開墾した新井三郎盛久という人物により志村坂下に寺院を創建したことに始まると伝わるが、詳細は不明。寛文2年(1662年)に中興され、享保9年(1724年)には荒川の水害対策により、本蓮沼から現在地に移転した。


山門をくぐったところに大きな笠付庚申塔がある。正徳3年(1713年)建立のもので、かつては旧中山道沿いにあったものと考えられる。


三体の地蔵菩薩は、大正12年(1923年)の関東大震災で山門が倒壊した際に山門の跡から発掘されたものだという。昭和43年(1968年)に再建された。


出羽三山供養塔が並ぶ。左は月山供養塔で文化元年(1804年)の塔の上には阿弥陀如来坐像。右は羽黒山供養塔で文化元年の塔の上には聖観音菩薩坐像。そして中央の出羽三山供養塔は安永6年(1777年)の塔の上に大日如来坐像。これは板橋区内で最も古い坐像だという。


地蔵堂には正徳4年(1714年)建立の地蔵菩薩が鎮座している。参拝すると歯の痛みが治まるとされ「はいた地蔵」とも呼ばれている。


本堂は昭和53年(1978年)に再建されたもの。本尊は十一面観世音菩薩。また行基作と伝わる阿弥陀如来坐像や、弘法大師が江ノ島で一万座の護摩修行を行った際の灰で自作した厄除大師が安置されている。


不動堂とその中に安置されている不動明王は、昭和2年(1927年)に南蔵院と末寺の金剛院が合併した際に、金剛院にあったものを移設し、現在に至る。


少し高い位置から境内を臨む。手前にある地蔵は「庚申地蔵」と呼ばれ、承応2年(1653年)建立のもの。庚申塔の主尊が青面金剛に収束するのは江戸後期頃とされるのでその古さが伺えるが、それもそのはず、板橋区内の庚申塔の中で最も古い庚申塔である。

霊場

寶勝山 蓮光寺 南蔵院 志村不動尊
所在地:東京都板橋区蓮沼町48-8
三十六童子:波羅波羅童子(はらはらどうじ)

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