【巡礼記】関東三十六不動尊 第四番 和田不動尊
第3番札所の野毛山不動尊から第4番札所・和田不動尊へ移動。和田不動尊は相鉄本線の和田町駅が最寄りだが、今回は横浜駅よりバスで和田町停留所向かい、そこから5分程歩くルートにした。和田町駅から歩くと10分ほどのようなので、それほど変わらない。野毛山不動尊からおよそ1時間の行程である。
和田不動尊こと大聖山真福寺は、治承元年(1177年)に源頼朝に仕えた和田義盛によって建立されたと伝わる寺院。平家討伐を目指していた義盛の夢枕に不動明王が現れ、勧進すれば悲願が達成するとのお告げからお堂と稲荷社を建てたことに始まるという。建暦3年(1213年)の和田合戦にて義盛は北条氏に討ち取られ、寺院も廃寺となる。その後元和元年(1615年)に中興するもすぐに無住となり、度重なる震災や戦禍を経て現在に至る。
境内入り口のすぐ脇に「満願地蔵尊」が置かれている。元々和田町駅の裏手にあった地蔵堂に祀られていたものを、小学校建設に伴い移設したものだという。
地蔵尊の脇からは「霊場参道」というゆるやかな坂が伸びている。
霊場参道の足元には坂東・西国・秩父・四国の各霊場の砂が埋められており、参道を通過するだけでもいわゆる「お砂踏み」の効果が得られるようになっている。
霊場参道の壁面には不動明王をはじめとする「十二支守本尊」のレリーフが飾られている。十二支守本尊は生まれ年の干支に応じて異なる仏が守護してくれるというもので、不動明王は酉年を担当している。
参道が右手に折れ曲がった先に本堂がある。昭和20年(1945年)に戦災で消失したが、昭和35年(1960年)に再建された。本堂内で本尊を拝みつつ、お寺の方の勧めで少し休憩させていただいた。
真福寺の隣には和田稲荷神社が鎮座している。これが和田義盛の夢枕でお告げのあった稲荷社である。建久4年(1193年)に頼朝が狩りに訪れた際、この稲荷に参拝し、和田稲荷と名付けたと伝わる。「和田町駅」などの名称からもわかるように、この地域が「和田」と呼ばれるようになった由縁がこの出来事だという。現在でも真福寺がこの神社を管理している。
霊場
大聖山 真福寺 和田不動尊
所在地:神奈川県横浜市保土ケ谷区和田2-8-3
三十六童子:光網勝童子(こうもうしょうどうじ)
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